研究紀要

2020年8月15日/記

(美術の終末、芸術の終末 番外)

終末論から読み解くバンクシー

三頭谷鷹史(みずたにたかし/美術評論家)

珈琲茶会の常連に「今度の珈琲茶会で僕がバンクシーについてしゃべるよ」とメールしたところ、伊藤正君から返信がきた。「三頭谷さん、この本は読んだでしょうね」との念押しであった。昨年出版された、吉荒夕記の『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(注1)である。本のタイトルに共感するところがあって、気にはしていたが、まだ読んでいなかった。

伊藤君によると、著者の吉荒さんは、かつて名古屋のギャラリー(飲み屋併設)のASGがらん屋でよく飲んで騒いだ友人だとのこと。彼女が移住したイギリスにも遊びに行き、バンクシーはもちろん、いろいろなストリートアートを案内してもらったという。そんなことならと急いで本を取り寄せて読んだ・・・うむ、よい本だ。バンクシーに関する基本知識、創作の流れ、バックグラウンド、考えるべきポイントなどが適切に書かれている。分かりやすい文章だし、内容も充実、お薦めしたい一書である。

私が共感した書名「壊れかけた世界」は、私の関心事でもあるが、もはや多くの人が感じ取っている。その崩壊を美術や芸術の内部で捉えようとするのが、「美術の終末、芸術の終末」シリーズなのである。終末論の視点からバンクシーを読み解いてみよう。もちろん、この番外編、コロナウイルス禍でついに茶会を開けなかった、その欲求不満を解消する意味もある。
 

(注1) 吉荒夕記『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』美術出版社、2019年。
 

20年も謎の作家であり続ける

バンクシーが広く知られるようになったのは、2003年、ロンドンにある有名美術館、テート・ブリテン美術館に、作品を人知れず持ち込み、勝手に飾った時である。ご丁寧に本物そっくりの展示キャプションまで付けてあった。タイトルは《犯罪監視社会の英国は、我々の田舎を台無しにする》で、風刺と批評に満ちた作品(アクション)であった(図1)。この事件は英国の全国ニュースになったという。

日本では2011年に渋谷の岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》の片隅に小作品が勝手に付け加えられていたことが報じられ、じきに男女6人組の「Chim↑Pom」が名乗り出て、書類送検となった。彼等の知名度を高めるきっかけになったが、バンクシーを真似たアクションだったと思われる(図2)(注2)。

バンクシーの話に戻ろう。2004年、彼は同様な手口でロンドン自然史博物館にネズミの剥製を使った作品を設置した。この作品《ペスト・コントロール》では、リュックを背負って立つネズミの背後にスプレーで「われわれの時代が来るだろう」と書かれていた(図3)。アメリカにも出かけて、MoMAにウォーホルの《キャンベルスープ缶》ならぬバンクシーの《スープ缶》を勝手に展示し、その場で5分ほど観察していたという。その他、2003年から2005年にかけて、メトロポリタン美術館、アメリカ自然史博物館、大英博物館などでゲリラ展示しているが、一度も捕まっていない。

彼の活動幅は広い。2005年以後はパレスチナに飛び、リスクを犯して分離壁などに風刺画(図4)を描いたばかりか、2017年には分離壁のすぐ横にそれ自体が分離壁に対する風刺、通称「世界一眺めの悪いホテル」を作ってしまった。また、多くの人が関わるショーや公的美術館による大個展なども開催している。

だから多くの協力者がバンクシーと直接的な接触をもっているはずだ。それなのに未だに彼は覆面作家なのである。協力者たちは誰も口を割らない、すなわちバンクシーと彼らの間には信頼関係が長く続いていることになる。

ロンドンに活動拠点を移して本格的な活動を始めたのが2000年前後だとすると、20年も謎の作家であり続けているのである。3週間足らずで正体を自ら明かしたChim↑Pomとは別次元の生き方というほかない。
 

バンクシーの風刺は、監視(図5)、消費社会(図6)、戦争(図7)、人種、宗教、動物搾取(図8)、英王室(図9)、ポリス(図10)、環境、分断、格差、貧困、難民などをターゲットにしているが、鋭く、しかしユーモアがあり、時には詩情を感じさせる。硬軟自由自在なところがあって、つい「うまい」という言葉が口から出る。

故郷プリストルの壁には、テディベアがポリスに火炎瓶を投げつけている場面が描かれた。ふわふわの縫いぐるみは、何をしても、かわいさを失わない(図11)。一方、パレスチナ自治区の壁に描かれているのは血気盛んな若者だが、その手にあるのは爆弾じゃなくて花束だ(図12)。本気の怒り、厳しい批評精神が、ユーモアや優しさと溶け合う。

作品の売買はどうなのだろうか。本人が作品を売る場合、高値をつけることはないようだが、正確なところは分からない。

オークションでは、2007年に《宇宙服と少女》が約6,800万円で落札されたのが高値の始まりだろうか。2018年にはキャンバス作品版の《少女と風船》が約1億5,000万円で落札された。その瞬間、額縁の裏に隠されていたシュレッダーが作動して作品を細断、この事件は世界中に知れ渡った(図13)。翌年には混迷するイギリス議会を予言したとされる絵画《英国の地方議会》(図14)が約13億円で落札された。こうなると世界のマスコミが正体を暴こうとやっきになるのだろうが、今現在も覆面作家のままである。
 

これまでバンクシーのことを「彼」と呼んで男性扱いをしてきた。ところが、実は女性だとか、個人ではなくグループだとか、いろいろな説がある。名前も本名かどうか分からないし、1973年にイギリスのブリストルで生まれたという説があるものの、いや1974年だとか、ブリストルではなくその近郊で生まれたとか、正確なことは分からないのである。しかたがないので、この論考では、1973年にブリストルで生まれた男性ということにして先に進みたい。
 

(注2) 2011年、バンクシーが監督した映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」の日本での試写会を見に行ったイルコモンズは、次のように述べている。

 「今でもはっきりおぼえていることがあります。それは上映が終わった後、映画を見終わったChim↑Pomのメンバーたちが目を輝かせていたことです。Chim↑Pomはネズミやカラスを使った作品などにみられるように、バンクシーに大きな影響をうけたストリート・アート集団ですが、まさかそのときはそれから数カ月後に彼(女)たちが、岡本太郎の壁画をフィーチャーした〈レベル7feat.明日の神話〉という作品をつくるなど想像もしていませんでした」。

(『ユリイカ』2011年8月号、青土社)

図1

表現からの再出発

芸術に関わる人は、芸術と表現を非常に近い関係だと感じているのではないか。確かに芸術は表現の一種である。が、表現のほんの一部であり、特異であることを忘れてはならない。とりあえず『広辞苑』の定義を見ておこう。「内面的・精神的・主体的なものを、外面的・感性的形象として表すこと。また、この客観的・感性的形象そのもの、すなわち表情・身振り・動作・言語・作品など」とある。要するに、目に見えない「心の動き」を他者が感受できる「形あるもの」にすることだ。

人が生きていくにはコミュニケーションが必須であり、そのためには人の心の動きを理解しなければならない。人の心を知ろうとすれば、その人の表情や身振り+一般的な言語で理解するというのが圧倒的に多い。少なくとも日常の次元ではそれがほとんどである。心を伝えるために、いちいち絵を描いたりピアノを弾いたり小説を書いたりはしない。『広辞苑』に言うところの「作品」とは、日常次元を超えた、特異例に近いのである。

観客を魅了する劇的表情や身振り、訓練を積み重ねて初めて可能な演奏、美しく練り上げられた言語表現、等々。そうした方向に「芸術」があり、もともとは特異例なのに、表現の優等生として広く認知されてきた。

この優等生が疑わしくなってきたのが今日であり、終末論で一度洗い直すべきだと私は主張しているのである。何でもかんでも「アート」とか「芸術」とか呼ぶ習慣を止めて、「表現」から再出発する必要があるのではないか。そしてバンクシーはその典型のように思えるのだ。そもそも彼の出自はグラフィティだった。その分野ではライターと呼ぶのが一般的で、アーティストと呼ぶにはかなりの溝を飛び越えなければならないはずなのである。彼の出自のグラフィティを少しばかり見ておこう。
 

グラフィティとストリートアート

グラフィティとは何かだが、要は違法な落書きであり、スプレー缶などを道具として、自分の別名を独自のデザインで描く。吉荒夕記によると、1960年代のフィラデルフィアやニューヨークで誕生したという。豊かな白人層と黒人やスパニッシュ系の移民、低所得者たちが強いコントラストをなす大都市である。グラフィティの背景について吉荒は次のように記している。
 

貧困区の若者たちの目の前には、不就労、不平等、差別など、自分たちの力ではどうしようもない厳しい現実が立ちはだかっていた。しかし、そんな彼らにも手の届くところに壁があった。壊されたビルや工事現場、高架下、線路脇、看板、シャッターなどありとあらゆるところに。その壁に自分のタグ(グラフィティの隠語で、本名とは異なる名前のこと)を描いて、自分がこの社会に存在することをマーク(印づけ)したのである。そう、ただの名前だ。でも、他の誰よりもかっこよく、目立つところに描き残そうとした。教わる人も学校もないが、自分で技術を磨き、競争し、影響を与え合い、仲間ができた。彼らは自分たちのことをグラフィティライターと呼ぶようになった。(『壊れかけた世界に愛を』)
 

1980年代に入ると、のちにストリートアートと呼ばれる表現も登場してくる。グラフィティとストリートアートの違いは、なかなか微妙だし、興味深いところでもある。両方とも違法行為であり、違いは表現の中身だと吉荒が指摘している。「グラフィティが言葉であるのに対して、ストリートアートはフィギュラティブ(形象的)な表現、つまり絵である」と。

また、グラフィティライターが意識している相手は同じライター仲間であるのに対して、ストリートアートは通りがかるすべての人。表現の技法や形態に関しては、ストリートアートの方が多様で、ペイント、スプレー、ステンシル、ポスター、ステッカーなどがあるし、彫刻やインスタレーションといった広がりをもつ。
 

ストリートワークと呼ぶべき

ただ、以上でもって本質的な差かというと、違和感が残る。技法や形態がアート的だったとしても、それでアートと呼んでよいわけがない。何を意識し自覚しているかの方が重要なのだ。吉荒によると「グラフィティライターたちは自らをアーティストとしてみていない。そもそも美術界なぞに関心すらない」「また初期のストリートアーティストがアーティストとして自己認識していない点もグラフィティライターと似ている」という。

どうやら今はライターとアーティストを区別しているが、初期における意識は同じだったようだ。アートという言葉を急がないようにしよう。名前を書こうが絵を描こうが、ともにストリートでのちょっとばかり犯罪的な表現行為であり、私はアート臭のない、例えば「ストリートワーク」とでも呼んだらどうかと思うのである。

1980年代に入って、ストリートワークのほんの一部がストリートアートとして分離していくわけだが、その代表例がキース・ヘリングやジャン・ミシェル・バスキアである。その他にもアーティストとして名前が売れた人もかなりいるようだが、圧倒的多数がライターのままであり、しかも、アーティストになることに憧れているというわけでもないようなのだ。吉荒は言う、「アートというメインストリームにとりこまれ、セレブリティーとなった者に対し、冷たい眼差しを向け、路上を舞台として活動を続ける自分たちこそがピュアなライターだと自己意識を高めた者も少なくなかった」と。
 

ヘリングやバスキアは、ストリート界隈が成熟して生み出したアートではなく、既存のアート界による一方的な引き抜き、つまみ食いという印象が強い。同じアートでも音楽分野などではストリートが既存の音楽界に多大な影響を与える場合も少なくない。美術の場合、どうもそれが感じられない。かつては王侯貴族の実用的な調度品だったが、今はセレブの無意味な嗜好品か宝飾品、といった印象である。

2017年に約123億円でバスキアを落札したゾゾタウン社長(当時)の前澤氏は、一時自宅に飾ったのち『バスキア展』に出品した。その時のツイッターで「(作品が)今日旅立っていきましたが、展覧会での活躍を心から願っています。いなくなるとめちゃくちゃ寂しい」(注3)と、愛着をつぶやいていたらしい。ほほえましいような、しかしセレブによる美術作品の私有臭と独占臭が漂うし、愛着が果たして作品の表現内容に対してなのかどうか、前澤氏の寂しさを私は素直に受け取れない。

そんなことはどうでもよいと言えばそうだが、美術界が自立の力を失っただけに、セレブが使う金の影響力は相対的に大きくなった。セレブたちはストリートに身を投じたわけじゃない。セレブたちはストリートから作品を引き剥がし、アートの衣装を着せることで、安全な趣味対象、安心の投資対象にしただけだ。しかし、結果として美術の終末を早める役割を果たしていると見るべきであり、この点をもう少し考えてみたい。        (つづく)
 

(注3)YAHOO!ニュース2019年9月8日配信「前澤友作社長『2ヶ月の短い同棲生活でしたが…』」
 

私はセレブの世界を知らないし、まったく手が届かない。が、美術の背骨を歪め、狂わせ、終末への歩みを早める要因の一つになっていることぐらいは推測できる。推測であれ、この問題を一度くらいは考えてみる必要がある。また、バンクシーについては、18世紀イギリスの風刺画家の巨匠ウィリアム・ホガースとの比較が必須である。両者とも芸術と表現の狭間に生きた作家であるが、それぞれの時代の美術界に対して異なる姿勢を見せていて、興味深い。

番外ということで、簡単に済ますつもりだったが、欲が出てきた。もう少し調べ、考えてから、続きを書くことにする。
 

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